天孫神社

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由緒

天孫神社
祭神:彦火々出見命、大名牟遅命、国常立命、帯中津日子命
天孫神社は奈良時代(西暦782年 延暦年間)に創立され、平安時代(西暦806年 大同3年)10月には、近江に行幸された平城天皇※が、当社を仮の御所として禊祓いをされました。その後も(平安時代 西暦1190年 建久元年)近江の守護職で崇敬の厚い佐々木定綱により社殿造営され又神供田などを寄付された。その後大津城が築城された折には、城下の守護神として町衆より崇敬されました。
社号の由緒には数々ありますが、一つには近江の国には大変神徳の厚い社がありそれを昔の人々は一宮〜四宮と称しました。
一宮が建部大社、二宮が日吉大社、三宮が多賀大社そして四宮が天孫神社であります。
秋の例祭は五穀豊穣に感謝の意味をこめ氏子中で賑々しく行われます。

例祭日の変遷・・歴史的には旧暦の9月10日次に新暦の10月10日
平成11年(1999年)より10月10日体育日が第二月曜になり体育日の前日が本祭となりました。


※平城天皇とは下記の時代に出てこられる方です。

光仁天皇の擁立・桓武天皇の皇太子を実現したのは、式家の藤原百川・北家の藤原永手であった。しかし長岡京の造営に絡んで式家の種継が暗殺された以後、北家がしだいに藤原の中心をなすにいたった。西暦810年には平城天皇が病のため弟の嵯峨天皇に譲位したが、やがて両者の間に不和が生じ式家の家運回復を志す種継の子仲成は、平城天皇に可愛がられいた妹の薬子と諮って、平城天皇の復位をはかり上皇を擁し平城京遷都を計画したが敗死する。これを薬子の乱・・西暦810年


天孫神社由緒
当社は延暦(えんりゃく)年間に創祀と伝えられるが、其後の沿革は古伝によると大同三年(806〜809)に平城天皇が近江に行幸の際、当社を行在所として禊祓された。また建久年間(1190〜1198)近江守護佐々木定綱が社殿造営、新田の奉納があった。
また元亀年間(1570〜1572)栗太郡青地の城主青地伊予守より所領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際にその余材をもって当社を修復された記録がある。

又当社は日吉山王の信仰と深い関わりがあり、山王祭には当社と日吉大社の間に大榊の神事があり、即ち四月三日の夜当社より日吉大社に多数が赴き、日吉の大榊を持ち帰り、これを「しんの御榊」として拝殿に祀っておき、山王本祭の四月十四日この大榊を引いて再び日吉大社に返す神事で、この大榊が帰って初めて山王七基の神輿が唐崎に神幸するのである。

この大榊の神事は日吉の祭も白鳳年中(672)より延暦九年までは神輿は無く榊を以て渡御していた名残とする説や、当社の氏子が山王信仰の顕現として夜密かに日吉神を榊に遷して盗み帰り崇拝したもの等種々伝えられるが、これを儀式化した神事である。

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天孫神社 〒520-0044 滋賀県大津市京町3-3-36
TEL・FAX:077-522-3593(自動切換)